広島大学教育学部 心理学教室

平川 真 先生
(社会心理学)

先生が研究されている内容について簡単に教えてください。

 言語を使ったコミュニケーションに興味があります。日常的に何気なく行っている活動ですが、「自分が思っていることを相手に伝える」ということが、どうしてできているのかが素朴な疑問としてあります。
 特に研究対象としている、遠まわしなコミュニケーションは、話し手が伝えたいことをどうやって聞き手が理解しているのだろうかということが不思議です。「この部屋寒いね」という話し手の状況を伝える内容の発話が、ときには「暖房をつけて」という要求の意味として理解されるのはどうしてだろうということです。
 このような話し手の意図を察することができることを「適切」と評価することが多いと思います。たとえば話し手の意図を察することができないときに「あの人は空気が読めない」と(いくぶんネガティブな意味をのせて)評価することがあります。ある人がある行為をしたときに、他の人から「適切」「不適切」と評価されることがあり、他者からの評価がある人の行為を制御している側面があるとしたら、そのような結果として、「この部屋寒いね」という発話を聞いたときに「暖房をつけて」という要求の解釈が、ある種自動的に候補としてあがってくるのかなと考えています。そのような過程がはたらいているのかをデータをとって示したいと思っています。
 関連して、ある人が他者の行為を適切だと評価するようになる過程も興味深いなと思っています。

先生の研究ではどのようなデータを取得するのでしょうか?

 主に質問法でデータをとっています。対象者は、広島大学の学生さんだったり、webで回答できるようにして幅広い地域・年齢のかただったりします。質問法は、対象者に質問をして、思っていること考えていることを報告してもらう方法です。たとえば私の研究だと、遠まわしに要求していると解釈することができる発話 (e.g., この部屋寒いね) を含んだ会話場面を物語の形式で対象者に読んでもらい、「この部屋寒いね」という発話を要求として解釈するかどうかをたずねて、その回答をデータとして得ています。
 私の興味関心がコミュニケーションについての主観的な認識にあるので、対象の性質上、質問法でデータを収集せざるをえない、しなければならない側面があります。ただ、対象者に質問をすることによってとりだしたものは、日常的にコミュニケーションをやりとりしている際の自然な状態から離れているという可能性を意識しておく必要があると思います。日常的なコミュニケーションでは、一つ一つの発話の解釈を尋ねられるということは稀ですし、解釈自体をひとつひとつ定めているわけではないかもしれません。質問法に限らず、自分が使用している研究手法が適切になるように使用することは非常に重要なことです。
 ふと、自分が「コミュニケーションできるのはなんでだろう」という疑問の中で研究しているのに、質問法を使ってて良いのかと思うこともあるのですが、そういうときはあまり深刻になりすぎないように早めに寝るようにしています。

研究をしていて、おもしろいと感じるのはどのようなことですか?
研究をしていて、難しいなと感じるのはどのようなことですか?

 研究活動をしているといろいろな側面でおもしろいなと感じます。
 文献を読めば人間について「へぇ!」と思うことがあるし、こういう方法でデータをとればこういう結果になるのではないかと考えるのもおもしろいし、自分でデータをとって「こういうデータになるのか」ということがわかるのもおもしろいです。方法論について、「どうしてこの方法でわかったことになるのか」ということを自分の中で正当化しようとするのもおもしろいです。
 同時に、それらの作業では「むずかしいな」とも感じます。自分の知識では、文献で言われていることがわからなかったり、データの解釈として適切なのかが判断できなかったり、とかです。そういう時に勉強するのもまた、おもしろさと難しさを感じる作業です。

どこで研究していますか

研究室と自宅です

広島の良いところを教えてください

わたしは生まれが山口県なので、環境があまり違わないところが過ごしやすいです。

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